車中で

東京に出かけ、車中で授業のノートのために関連ある本に目を通していました。あっ、これはいい例だと思うのがあり、それをメモしようと思ったのですが、あいにく筆記用具の持ち合わせがなく、記憶力の衰えた頭にその箇所を覚えるはめになりました。そんなことがあって、学生の頃の出来事を思い出しました。あれは毎週の土曜日のゼミのために、お茶の水にある恩師の家に向かう車中でした。ぼんやりとつり革にぶら下がり窓の外を眺めていた私に「そのシャープペンシル、貸していただけない」と前に座っていた女性が声をかけてきました。黒い服をきりりと着こなした美しい人でした。手渡したシャープペンシルで彼女は揺れる車中で肘を浮かしたままさらさらと何やら書き付けました。

その後お茶の水に向かう車中で毎週のように彼女の姿を探しましたが、それっきりです。

バロックコンサート

木村理恵、會田賢寿によるバロックバイオリンとチェンバのコンサートがノバホールのホワイエであります。4月9日です。

RieKimura

もぐら

我が家の庭に出現したもぐら塚。

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慕何

同僚から「馬鹿」という言葉が中国の鹿を馬と言いくるめる故事に由来するのかどうか尋ねられたので、広辞苑を引きました。そこには

梵語 moha(慕何)、すなわち無知の意からか。古くは僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字

とあります。この、何であるかと疑問を持つことを慕うと読める「慕何」という言葉が好きになりました。慕何になりましょう。

ユニセフからのメール

ユニセフからの支援を要請するメイルです。

多くの皆さまはすでにご存知のことと思いますが、現地時間12日夕方(日本時間13日朝)、カリブ海の島国ハイチを襲ったマグニチュード7.0の地震により、甚大な被害が発生しています。死者は10万人を超えるとの報道もあり、子どもたちを含む多くの人々の命や生活がおびやかされています。ユニセフは、被災地での緊急支援活動に充てる費用の一部として、これまでに、手持ちの資金(他の予算)から340万米ドルを緊急に充当しました。現地では、医療資材や医薬品、安全な飲料水、衛生環境の確保、仮設住居などさらに多くの支援が求められています。
(中略)
今後、被害の全貌が明らかになるとともに、さらなる支援の拡大が必要になると見込まれており、国際社会のさらなる支援が必要です。(財)日本ユニセフ協会は、被害を受けたハイチでのユニセフの緊急支援活動を推進するため、14日(木)、緊急募金の受付を開始いたしました。何卒ご協力下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

Ihre Handschuhe

降りたらはめようと手袋を鞄の上に出してバスに揺られていました。鞄も手袋も同じように黒かったせいでしょう、バス停に着いた頃には手袋のことを忘れて、手袋が落ちたことに気づかず歩き出しました。と、忘れ物ですよと声をかけてくれる人があり、その人のすぐ後に私の手袋を持って近づいてくる人がありました。感謝です。そのときある作家の言葉を思い出しました。彼女はこんなふうに書いていました。
子供を「人様の世話にならないように」と言って育てるのは間違っている。人の世話にならないで生きていくことのできる人なんていない。赤ん坊のとき、歳を重ねて体の自由が利かなくなったときはもちろん、一生我々は人の世話になって生きていくのだ。だから、「人様の世話ができるようになりなさい」と子供を育てるべきだ。

そういえば、ドイツのボンのバス停でやはり手袋を足下に落としたことがありました。そのときも横にいた婦人が "Ihre Handschuhe" といって教えてくれました。昔昔のみぞれ降る寒い日の思い出です。

誕生日の電話

元旦の午後7時くらいでした。電話が鳴りましたが「表示圏外」と表示されたため、受話器を取るのをためらいました。海外からかも知れないと家内が言います。数分後再び同じ表示があったので、受話器を取りました。懐かしい声。オランダの古い友達の Dolf Talman からの誕生日のお祝い電話でした。彼と初めて会ったのは1979年。学位を取って休暇で日本へ旅行に来ていたときに東工大までやって来てくれた彼と話をしました。その後1985年に私が彼の Tilburg 大学に行き、それ以来何度も会い、一緒に仕事をしている仲のいい友達です。去年の夏にシカゴの学会で会うはずだったのですが、彼のお母様の具合が良くなくて、彼はシカゴに来れませんでした。本当に嬉しい電話でした。ちなみに今日で私は幸せにも59歳になりました。

自分の手

家内の誕生日の夜に外で食事をしました。グラスを持つ見慣れたはずの自分の手がダウンライトの灯りの中で別人の手のように見えます。

若い頃から家族のために油にまみれて仕事をして、そして亡くなった父が、その固くひび割れた手で、1歳になった頃の私の長男の手を「柔らかいなあ」と撫でていたことを思い出しました。父の手に比べて、私の手は華奢で、傷もなく、指は細く、爪のひび割れもなく、まるで女の人の手のようだと母親に言われた頼りない手です。その手はずっと負い目でした。今もその気持ちは変わりませんし、これからもその負い目を持ち続けようと思います、自分の拠り所として。

りんご

信州の上田からリンゴが届きました。箱を開けて、思わず「ああ、いい香りだ。」感謝です。

百万回の永訣

「がん再発日記」と副題のある柳原和子さんの「百万回の永訣」の背表紙を幾度となく書棚に見て、手にも取っていながら、これまで読もうとする気持ちをなんとか抑え込んできました。読みたい、でも恐ろしい。まったく愚かな自分だと思います。やっと心を決めて先日来、朝夕の通勤に、眠りにつくまでの床の中の短い時間に読み始め、つい先ほど読み終わりました。癌と抗い続け、自らとも抗い続けた女性の記録でした。

ペン

手帳に予定を書き留めるためにペンを使い始めました。それまではボールペンだったのですが、ボールの転がりが滑らかすぎてか、どうしても字が乱雑になります。それでなくても、キーを叩くことに比べ字を書くことのめっきり減ったこの頃ですから、自分の字が汚く、後で読めなかったり読み違えたりします。書きにくい筆記具といえば変ですが、きちんと字の画数を数えるように書かなければならない、そんな筆記具と思って、極細のペンを使い始めました。指にインクが付きます。趣があっていいものです。

野良猫

今日は博士の学生の予備試験の発表が終わりました。家までの暗い道で野良猫に会いました。背中を丸め、毛を逆立て、歯を剥き出す。弱く悲しいものよ。

バラ一輪

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困ったメイル

もうしばらく前のことです。見知らぬ人からこの大学院で勉強したいとのメイルを受け取りました。何を勉強したいのかがよくわかりませんでしたので、もっと具体的な研究計画を書き送るようにと返事をしました。その人からの返答が届く前に、同じ大学の別人からそっくりの文面のメイルが届いたのには驚きました。そのような依頼文のひな形がその大学のどこかにあるのか、初めの人がその友人に自分の送ったメイルを見せたのか、あるいはそのメイルが盗み見されたのか、いずれにしろ私には興味の無いことです。大いに落胆しました。
つい最近も同じように私を落胆させるメイルがありました。内容はやはりこの大学院で勉強したい、ついては指導をお願いしたというものですが、それに添付してあった自己紹介の文面のニュアンスが途中で奇妙に変わっていることに気づきました。すっきりしない気分のまま、もっと具体的な研究計画を書き送るようにと返答をしました。帰ってきた返答の文章の幾つかの単語にはインターネットのサイトにリンクが張られていました。マウスのカーソルを当ててクリックすると有名なサイトにつながり、それをたどっていくとそっくり同じ文章がそのサイトに載せられていました。剽窃と言ってよい行為です。当然、このようなことをしてはいけない、さらにあなたの勉強したいことは私の指導の下では勉強できない、他をあたりなさいと書き送りました。以下は剽窃についてのサイトです。

http://www.plagiarism.org/screenshot_01

金木犀

久しぶりの雨です。昨日までは公園の中や家々の角などで、甘くしかも鮮やかな金木犀の香りに家に向かう私は足を一瞬止めそうになるほどでした。しかし、しとしと降る雨の夜は、いろいろな香りや臭いが地面から立ち上がって、入り交じって漂っています。土の臭い、草の香り、何かが腐ったような・・・。それにかき消されてか金木犀はどこかへ行ってしまいました。

腰の痛み

数年前、遠くに一人住む母親が圧迫骨折から来る腰の痛みを訴えていました。痛い痛いと顔をしかめる母親の姿を間近に見ていても、その痛みを感じることはできず、もどかしさを通り越して自責の念を覚えました。この夏のアメリカ滞在中に私は階段から転げそうになり、手に持った荷物のためやむなく何段かを飛び降りました。見事に着地したと思ったのでしたが、立ち上がると腰に痛みが走り、その後2週間ほどは歩道と車道の10センチほどの段差を降りるにも恐る恐る足を出し、Don't Walk に変わる信号に追われるようにして横断歩道を渡る有様でした。しかし、そのときこれで母親の痛みを少しは理解できたと、古い自責の思いが少し軽くなるのを感じました。腰の痛みよありがとうです。

カーテンを開けると柔らかい朝の光が部屋に入り、窓を開けると半袖から出た腕に風が当たります。秋の風です。

上下の区別

海外に来るといつも「上下の区別」について考えます。鮮明に覚えている場面の話から始めます。1つ目はヨーロッパのある国のスーパーでのことです。買い物客が買った品物を袋につめたりする台が、日本のそれに比べれば申し訳程度にレジを出た所にあります。予想できるように野菜くずや肉汁でよごれています。その台に食べかけのコーンのアイスクリームを小さな男の子がそのまま置いたのを見ました。母親がすぐ横にいてそれを見ていましたが、とがめようとしません。男の子はいったん置いたアイスクリームを取り上げ口に持っていきましたが、くだんの母親はなすがままに任せています。私にはかなりショックでした。2つ目は確か羽田だったと思いますが、到着した乗客を乗せてターミナルに向かうバスの中の出来事です。海外からの乗客の中の高校生くらいの少女が窓の外に何かを見つけたのでしょう、先ほどまで座っていた座席に土足で上がって叫んでいました。これもショック。同じ様な印象を持った経験はたくさんあります。
日本人というものは・・というように文化論を始めるつもりはありませんが、多分に神経質すぎる我が家族の行動を割り引いて平均的日本人の行動と考えると、やはり上のようなことはあり得ないと思います。その理由についてはおそらくどなたが議論されていると思いますが、私達のそのような行動様式は、靴を脱ぐ生活と関係があるように思います。玄関で靴を脱ぐとそこで外から内に入るだけでなく、下から上に移ったと感じ、内外の区別に加えて上下の区別がきっぱりとあり、下が上を侵すことは美意識に反するといったことでしょうか。どうも考えが結晶化していません。またの機会に考え直しましょう。

また、シカゴの写真です。右の写真の鉄道は L と呼ばれおり、「逃亡者」という映画ではその騒音が重要な役割を果たしているそうです。帰国したらDVDを借りて見てみましょう。

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チャールストンの最後の夕べ

チャールストンでの滞在の最終日、かつてガイドをしたこともある John が街の裏通りを案内してくれました。彼は喉の手術から余り日が経っていません。話をするのはやはり少々つらそうです。歌手でもある彼のいい声が戻ることを祈っています。暑さを避けるため午後遅くに歩き出したにもかかわらず「夏は汗をかかねば」といいながらたっぷりと汗をかき、のどの渇きを癒すため Charleston Place Hotel でレモネードをいただき、早めに夕食のために私の希望で Sushi HIRO へ行きました。ご主人の石橋さんともしばらくの御無沙汰です。また来たいものです。

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International Symposium on Mathematical Programming のために22日午後にシカゴに到着しました。かつての学生であり今ではイリノイ大学の先生をしている Yang Dai のご家族と、彼女を知っている学生達(もう学生でない人もいましたが)を交えてギリシャ料理の夕食をご一緒しました。そこで彼女が言っていた話です。ギリシャに旅行したとき何もかもギリシャ文字で書かれていたのでまるで数学の論文を見るみたいだったと。実は私も同じ経験があります。ドイツ語の同じクラスにいたギリシャから来ていた学生に届いた手紙を横から見て、わあ〜みんなギリシャ文字だあ〜、αやβはもとより、関数みたいなφもあると思いました。Σなんて書いてあると何か足したくなります。てっきりギリシャでも a,b,c を使っているのかと思っていました。西洋の方が日本や中国の漢字を見るときっと同じように驚かれるのでしょう。それとも、これは Yang Dai と私の無知のせいでしょうか。

結露

結露があります。強い冷房のため外と内の温度差は華氏で15度から20度、摂氏で8度から11度あります。そのため窓ガラスの外に特に朝方結露します。近くのアイスクリーム屋のショウウィンドゥなどは一日中結露しています。

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私の名前はPeggy

部屋の掃除などをしてくれる Peggy です。

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銀行の梯子

1) First Citizens Bank
2) Bank of South Carolina
3) Bank of America
4) Wachovia Bank

これは今日のお昼頃訪ねた銀行のリストです。円のトラベラーズチェックを現金化しようと思って、まず数学科の秘書に聞いてみました。最寄りの First Citizens Bank に電話してくれ、現金化可能だとのことだったので、午前中に仕事が一段落した11時頃に出かけました。大学から3ブロックほど東です。円のトラベラーズチェックを見せると両替はやっていないので現金化できないとのこと、どこか他に銀行はとたずねるとそこから2ブロックほど Meeting Street を南に下った所に Bank of South Carolina があるので、行ってみたらと言われました。州の名前のついた銀行ですからと期待しましたが、やはりだめ。そこで教えられたのが Bank of America です。今度は国の名前がついていますので絶対大丈夫だとドアを開けました。入り口は小さめですが長い廊下が奥に繋がっており、いかにも大銀行という感じです。でも、そこでもできないという返事。そこで薦められたのが、さらに Meeting Street を2ブロックほど南に下った Wachovia Bank です。ワコヴィアと読みます。名前を忘れないように何度も小声で繰り返しながら歩きました。ずいぶん時間がかかりましたが、結局換金できました。ドルのトラベラーズチェックなら簡単なんだけれど、時間がかかって済みませんと言われました。ユーロ導入以前のヨーロッパでこのようなことを経験したことがありません。街の小さな銀行でも他国の通貨やトラベラーチェックは簡単に現金化できました。国境を接して多くの国が隣接しているヨーロッパでは当然のことなのでしょうが、ここアメリカではそうではないようです。今回は以前買っておいて使い残したトラベラーズチェックを持ってきたので、円になったのですが、事情を知っていればドルのトラベラーズチェックを用意してきました。おかげでずいぶんと歩いて喉が渇きました。気温は華氏92度です。

チャールストンの写真

チャールストンの写真を少々。

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Sushi HIRO

今回チャールトンの 298 King Street にある足しげく通ったお寿司屋 Hiro のご主人です。マグロ、白身、ホタテ、イカ、タコ、ウニ、穴子・・・みんな本当においしい。

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Fractional Solution & Transitivity Inequality

黒板に内点法で計算した小数を持つ最適解と Transitivity Inequality (3-dicycle Inequality) を書き終えた Kathryn。右の図は私。

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チャールストン大学の部屋

滞在中のチャールストン大学数学科で私が使わせてもらっている部屋です。椅子にかけてあるのは、冷房効き過ぎで寒いため羽織っているカーディガンです。

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朝からこんなには

朝からこんなには食べられません。Rising High Cafe の egg platter です。

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失敗の原因

人は失敗をするとその原因を考えるものです。それは、次に同じ状況になったときに同じ失敗をしないためだろうと思っていましたし、若いときにはまだまだ同じ状況に出会う可能性もあった訳ですから説得力ある理由でした。しかし、この歳になっても失敗をすると理由を考えます。考えながら、なぜ自分は失敗の理由を考えているのだろうと考えました。自分の年齢と状況の特殊性を考えれば、同じ状況はまず再び起こりそうにありません。ですから同じ失敗をしないためではないことになります。同じような失敗を避けるためですか、まあ、そうかも知れません。しかし、どうも自分を納得させるためのようです。「あのとき、あのような状況で、自分はこう考えて、だからこう行動した。その限りでは筋が通っている。そこに少しの心のゆるみがあって、あのようなことになってしまったのだ。それ以外に自分が非難されることはない・・・」といった具合ですね。つまり、原因をできるだけ外部の状況の何か、そのときの気候、気分、体調、雰囲気など、に押し付けて、自分の内部に瑕疵はないと思いたいらしいのですね。それで原因を考えている振りをしているのではないかと思いました。

怒りの葡萄

日本を離れる飛行機の中でスタインベックの「怒りの葡萄」を読み始めました。まだ上巻の途中です。先日長い手紙をくれたドイツに住む友人はその前はオクラホマにいたのです。彼女の "Keep moving, keep active!" が少しは分かるかもしれません。

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ドイツの古い友人からの長い手紙

ドイツの田舎に住む古い友人から長い手紙が来ました。

彼女に初めて会ったのは1985年7月の薄ら寒い Bremen でした。馬、犬、猫、鶏の音楽隊の童話で有名なブレーメンです。彼女とは Goethe Institut の2ヶ月間のドイツ語集中コースで偶然同じクラスになりました。クラスメートは、シリア、トルコ、イタリア、フランス、アメリカ、日本、インド、メキシコ、イスラエル、スペイン、ギリシャなどから来ていました。こうしてキーを打っていると今でも彼らの若い顔が目に浮かびます。今はどこでどうしているのか。大方が20代の若い学生だったクラスメート混じって、私が30代半ば、彼女は30代後半あるいは40代の初めくらいでしたので、当然のように彼女はクラスの母的存在でした。当時彼女はアメリカの Oklahoma 州の小さな町 Inola の高校で国語の先生をしながら、地元の新聞社 Inola Independent を経営していました。と言っても取材、写真撮影、印刷まですべてを数人でこなすといった新聞社です。 Oklahoma 州は人差し指を突き出した手のような形をしていますが、Inola はその親指の付け根あたりにある田舎町です。飛行場のある町 Tulsa までは西に50キロくらいです。Google で Inola Independent と打つと地図が現れ、1キロ四方にまばらに点在する住宅の真ん中あたりにこの社屋があるのが分かります。ストリートビューでは星条旗を掲げたそれらしい平屋の建物も見えます。

その彼女から先日、空っぽのメイルが届きました。どうしたんだろうと返事を出した翌日に届いた彼女からの長い手紙です。

メイルを書き始めたのが夜遅く、翌日にしようと思って寝る事にしたのだけれど間違って空っぽのメイルを送ってしまった。心配かけてごめん。

このところ昔のようには行かず、どうにかこうにか暮らしていたが、年齢と自分の怠惰のせいと思っていた。医者に見てもらった方がいいとの夫の説得で見てもらったら、心臓の大動脈弁が問題とのこと。びっくり仰天。半年ごとの定期検診ではいつも middle serious と言われていたので、この調子で何年かが過ぎていくと思っていたが、4月の検査では即手術を申し渡され、5月27日に手術が設定された。

Now, I wan to tell anyone who ever gets a chance to choose between open heart surgery and a trip to Hawaii, take Hawaii. It's guaranteed to be lots of more fun, even if the hotel is not as good as advertised in the brochure.

手術後9日間の入院、2日目には起き上がり、5日目には同室の患者がシャワーを浴びるのを手伝い
(手伝ってもらったのではないようです)、7日目には56段の階段を上り下りし・・と早い回復だった。良い外科医と手厚い看病のおかげ。病院食には文句を言ったが、お医者さんとセラピストの言う事をよく聞く模範的患者だった。

退院して、傷の赤みも薄れ、手術前よりもいろいろとできるようになり、10歳は若返った気分。

とかねてより悪かった心臓の手術を5月末にした事が書かれていました。まだほんの1ヶ月前です。彼女に埋め込まれたのは生物由来の弁で、彼女はきっと豚の弁だろうと書いています。

I think mine is pig, because I have a craving for corn and a fear of sauerkraut (but maybe that's just my overactive imagination). Oink, oink.

通常の手術は2、3時間で終わるそうなのですが、彼女の場合は弁の交換後、電気ショックを与えても心臓が動き出さなかったそうです。

gave my heart a jolt of electricity to get it going again. No response. ("Houston, we have a problem") They tried several times with the same non-result.

そうして、取り替えた弁が少しばかり大きかった事が分かり、小さいのに取り替えてやっと

Shock the heart. Hurrah! (We have lift-off!)

となったとのこと。手紙の最後の方で彼女は書いています。

My motto is "keep moving, keep active".

すばらしい友人です。彼女を友達に持った事を幸せにも誇りにも思います。

内田光子さん

先日の新聞の小さな記事に内田光子さんが Dame の称号を与えられるとありました。Dame とは何かも知らなかったので、辞書を引きました。

彼女の演奏に始めて接したのは1989年か1990年のことだったと記憶しています。何かの案内で彼女の演奏会を知り、切符を買い、その日の夕方、家内を助手席に乗せて、Bonn 郊外のアパートから、対戦中に破壊された鉄橋で有名な Remagen までライン川に沿って南下しました。切符に Bahnhof (駅)と書いてあったのですが、まさか駅の中で演奏会はないだろうと思いながら、行き着いた先が Bahnhof Rolandseck です。本当に鉄道の駅でしたが、ただの駅ではありません。詳しくは
Arp Museum のサイトを見てください。グランドピアノを載せるといっぱいいっぱいの大きさの一段高い舞台が会場の真ん中にしつられてありました。現れた内田光子さんは、CD ジャケットの写真から予想していたよりも小さく華奢な方でした。演奏のことは、20年の歳月のため、もう覚えていません。演奏の合間に階下の線路を走り抜ける鉄道の音が聞こえてきたことが記憶にあります。演奏会が終わり、幸せな気分で真っ黒なライン川を右手に見ながら自宅に戻りました。

次に彼女の演奏会に行ったのは Amsterdam の
Concertgebouw でした。2月の寒く湿っぽい天気の日に Concertgebouw の建物に彼女の演奏会を知らせる垂れ幕を見つけました。主に子供を対象とした昼間の演奏会でしたので、ほとんどの観客が親子づれでした。彼女はモーツァルト時代の古いピアノと現代のピアノの両方を、曲と楽器の説明をしながら弾いてくれました。音楽とともに、その声の美しさが印象に残った演奏会でした。あれからもう3年以上が経っています。

お客様

南キャロライナのチャールストンからチャールストン大学の大学院生で、高校の先生でもある Kathryn Pedings さんが来日し、2週間滞在します。19日にはセミナーを予定しています。

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鳥の歌

先日、体調が悪く休暇を取って自宅にいたおかげで、ピレシュのスーパーピアノレッスンを見る機会に恵まれました。マリア・ジョアン・ピレシュです。彼女のブラジルでのコンサートの様子でした。曲はベートーベンとシューベルトのソナタ。昔、彼女の弾くショパンが好きで、その CD を繰り返し聞いていました。嫌なことがあって、お腹の中にもやもやとしたものが居座り、肩からも力の抜けきらないような夜にも、すべてを一瞬で忘れさせてしまう魔法のような演奏でした。そのピレシュは、踝くらいまでの黒っぽいスカートの上に、割烹着に見えるような服を着てました。無造作にまくり上げてあらわになった腕は日焼けしたかのように褐色に光り、右の手首の近くには小さくタトゥが見えます。ソナタを弾き終わったあと最後にカザルスの「鳥の歌」を弾くチェロの伴奏だったのですが、そのとき鳥の鳴き声がチェロに乗って聞こえてきました。「鳥の歌」の演奏に乗って鳥の声がテレビから!?もちろんそれは私の思い違いで、実は裏の雑木林から開け放たれた窓を通って我が家の居間にやってきたのです。幸せな錯覚でした。

お客様

先日来の新型インフルエンザの騒ぎで、ずいぶんと右往左往しました。といいいますのも、6月中旬に2週間ほどアメリカから来客の予定で、大学の宿泊施設に予約を入れていました。ところが、ご存知のように、感染の確認された国からの来客は来日後10日間大学に出てくることを大学は禁止していました。この10日は後に7日まで緩和されたのですが、2週間の滞在予定の半分をどこか他の場所で過ごさなければならないことになっていました。しかも迎えにいく等の接触をした場合には私もしばらく大学に出ることができないという措置でした。宿をどうするか、半分の日程を無駄に過ごさなければならない場合でも来日するか、と先方は迷っていました。結局、大学の方針が変わり、入国後の体調管理を怠らなければ登校してよいことになり、ほっとしております。

友逝く

友逝く。昨日と同じに今日も生きる他に道なし。悔し。

幸田文

何年ぶりかに幸田文さんの文章を読んでいます。ときどき「あっ」と思わず声を出しそうになりながら。
ずっと自分の文章が好きになれません。仕事柄致し方ないこととはいえ、論理の一本路を脇目も振らず足下だけを見つめて歩いているような、そんな文章だといつも感じています。幸田さんの文章はまったく別物です。そうですね、空中に投げ上げられた風船か何かが、風に漂いながらゆっくりと降りてくる、丁度その場所に幸田さんの筆があって、絶妙な言葉がそっと風船を空中に押し上げる。押し上げられた風船は、また緩やかに、でもきっぱりとした色を見せて漂う、とでも言えばいいでしょうか。

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Keith Jarrett

自宅近くのバス停に近づくと、iPodを Keith Jarrett の1975年のケルンコンサートに切り替えます。初めの曲の一番好きなフレーズが鳴り出す頃に家にたどり着くように。昨日は、朝の冷たい雨が上がって、帰宅時には星が出ていました。成田から飛び立ったか、これから着陸するのか、飛行機の点滅する明かりも。寒い一日でした。

お客様

今週はロシアから Gleb Koshevoy さんをお招きします。私のオランダの古い友人の Dolf からの紹介です。若かりし日のサンタクロースみたい。

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お客様

先日から南カロライナのチャールストン大学の Amy Langville さんが滞在していました。学生時代バスケットの選手だった彼女は信じられないほどすらりとした人です。Google のページランクについて講演してもらい、あれやこれやといろいろと議論をして、お互いにとって有益な1週間でした。

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掛け時計

秒針の止まったその掛け時計を下ろそうとして、机の上に取り落としてしまいました。ドンという鈍い音。幸いガラスが割れることはなかったのですが、長短の針はいずれも軸から折れ飛んで、文字盤の片隅に並んで落ちていました。30年間、研究室と自宅の書斎で動き続けてくれた時計です。慶応で助手をしていた頃、修士を取って巣立っていった仲のいい3人の学生が、初給料で買ったといって持ってきてくれた時計でした。今では50代半ばになっているはずの3人はどうしているのでしょう。

黄金色の朝!

ベルガモ

もう何年も前のことです。古い友人から本を貰ったそのお返しにと、読んでしまった須賀敦子のさんの文庫本を送ったことがあります。その頃やっと意を決して買いそろえた須賀さんの全集の横にその文庫本は小さく置かれていたのですから、貰ってもらったというべきでしょう。その友人から、衛星放送で須賀さんの足跡をたどる番組があるよとメールが届きました。残念ながら我が家では見ることのできないチャンネルでしたので、そう返事をすると、今度会うときにDVDに入れて持っていってやるよとのこと。先日の週末、日本橋で気の置けない友人6人が集まった席にそのDVDを持ってきてくれました。

テレビ画面に映し出されたアッシジの石畳の坂道を見ながら、三十半ばの頃に北イタリアの街ベルガモを訪れたことを思い出していました。当時いたドイツのボンからスイスを越えてミラノまで行き、そこで電車を乗り継いでベルガモに向かいました。イタリア語は全くできませんが、文字で書かれてあれば意味が分からずともローマ字読みすれば何とかなるよと言い聞かせての一人旅です。着いたベルガモの駅前は何もなく、日本の人気のない地方都市の駅前広場といった所でした。そこから大学までのバスは、両側を煤けた石の壁に挟まれた細く曲がりくねった石畳の坂道をどんどん登っていきます。車中にいた黒い目が魅力的な女子学生に降りる場所を尋ね、招いてくれた教授の部屋に辿り着き、夕食をご一緒しました。講演には今と違って当時はOHPを使っていました。その夜、白く塗られた安っぽい家具が置かれたホテルの部屋で、翌日の講演のために用意したスライドの下調べをしました。その時の講演は非線形方程式系の解を求めるホモトピー法についての自分の研究で、内容には自信がありましたが英語で話すのは初めてだったのです。何枚目かのスライドに書き間違いを見つけ、油性ペンで書いた文字に持参したオードトアレを垂らして書き直したことが思い出されます。オードトアレの香りに囲まれて過ごした白っぽい部屋での一夜でした。それ以来イタリアへはご無沙汰しています。

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ピアノ・ソナタとブラインド

ノバホールのホワイエで、岩村かおるさんのフォルテピアノからモーツアルトのイ長調のピアノ・ソナタが流れ出すと、まだ明けきらない朝の薄暗い室内に、そこだけ外の光を受けて縞模様に浮かぶ水色のブラインドが目の前に見えてきました。12年前の入院中、一人朝早く目が覚めたときには相部屋の方に迷惑をかけないようにと、枕元に置いたCDプレーヤーに手を伸ばし、いつも内田光子さんのモーツアルト・ピアノ・ソナタ全集を聞いていました。そうしているうちに朝日が昇り、確か西に向いていたはずの窓にかけられた水色のブラインドも徐々に薄ぼんやりとしてきます。体から幾本かドレインパイプが垂れ下がり、点滴の管が繋がっている不快感や、元気になれるのだろうかといった漠とした将来に対する不安があったはずなのですが、なぜか記憶に残っているのは明けつつある空の明るさを写し始めたブラインドの縞模様とピアノ・ソナタと、ああ、幸せだなあという気分ばかりです。

須賀敦子

空はどんよりとした黒雲に覆われ、すでに日は落ち、バス停から家までの街灯のまばらな10分ほどの道は自分の足が見えないほどに暗くなっていました。先ほどから降り出した雨が、9月の終わりにしてはずいぶん蒸し暑かった一日のほてった顔に快く当たります。

車中で10月号の芸術新潮を読んでいました。須賀敦子さんの特集です。没後10年、早いものです。須賀さんの訃報に接したのは私が退院してそれまでの生活にやっと少しずつ慣れ始めた頃だったと記憶しています。ああ、須賀さんも逝ってしまったのかと言う思いが胸の奥に沈殿し、しばらくは消え去りませんでした。特集は、須賀さんの書き残したすばらしい随筆を足がかりにイタリアの各地を訪ね、坂道、川、海、建物、絵画、彫刻を、写真に収め言葉に記したものです。地の文章の合間合間に短く引用される須賀さんの文章が、明らかに地の文章とは違った、柔らかく高貴で時に切ない香りを感じさせます。

私の書架には須賀さんの全集があります。あまりに美しい本なので、これまで戸外に持ち出すこと、まして通勤の車中で開くことは憚られていましたが・・・。

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カズオ・イシグロ

黒いセーターの様な物を着込んだカズオ・イシグロの写真を見たのは、彼のブッカー賞受賞を報じる雑誌 Time だったように記憶しています。ドイツのボンにいた私は、帰国したら是非読んでみようとその受賞作「日の名残り」を記憶にとどめました。素晴らしい作品でした。翻訳者の土谷政雄さんに負う所が大きいとは思いますが、その穏やかで、それでいて力強い語り口に強く引かれました。その後、当時手に入る彼の作品を全て読んでみました。しかし「日の名残り」への私の強い思い入れのためか「充たされざるもの」は途中で投げ出してしまいました。

出張に持参したジュースキントの「香水」を読み終わり、立ち寄った札幌の本屋で、イシグロの「わたしを離さないで」の文庫本を目にしました。単行本として出たときにも手に取りましたが「充たされざるもの」の記憶がよみがえり、躊躇して書架に戻していた作品です。解説に「日の名残り」と同じ翻訳者であることを読み、初めの数ページの美しい文章にそれを確かめてから、購入しました。

読み終わった本をテーブルに置き、なぜか、その表紙をそっと撫でていました。作中に人物の肩にでも触れるように。本当に素晴らしい作品でした。解説にもあるように「細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ我々を仰天させてくれる、きわめて稀有な小説」です。「静かで端正な語り口とともににはじまって、いかにもありそうな人間関係が丹念に語られるなか、作中世界の奇怪なありようが次第に見えてくる。そして、世界の奇怪さが見えてきたあとも、端正な語りから伝わってくる人間的切実さはますます募っていき、もやは他人事ではなくなっているその切実さが我々の胸を打ち、心を揺さぶる。決してあわてず、急がす、じわじわと物語の切迫感を募らせていくその抑制ぶりは本当に素晴らしい」と解説に続きます。

予定していた旅行を降り続く雨のために断念し、それを補うように読書にのめり込んだこの夏の終わり。最高の作品に巡り合えました。

山村暮鳥

初めて暮鳥の詩に接したのは、まんが「巨人の星」で、その詩は「雲」でした。

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか


私の持っている暮鳥の全詩集の最後の最後にある「巻末の詩」にもりんごがうたわれています。好きな詩です。

さて、さて林檎よ
おまへはなんにもいってくれるな
それでいい
それでいい
そうはいっても
うるさからうがな
こっそりと
ころりと一ど
わたしにだけでも
ころげてみせてくれたらのう
お、お、りんごよ


全詩集で32ページにもわたる詩「荘厳なる苦悩者の頌栄」は学生の頃何度も何度も読み返しました。頌栄(しょうえい)とは三位一体の神をたたえる歌だそうです。

りんごの詩

どういう訳か分かりませんが、昔からりんごをみると、どうしてこんな形になったのだろうと首をかしげてしまいます。りんごでなくても、身の回りの草、木、虫、鳥、獣、なんでもかんでもその形には不思議があります。でも、この不思議感覚を私にもたらすのは、決まっていつもりんごなのです。学生の頃買った山村暮鳥の全詩集の最後のあたりにある「りんごよ」題するお気に入りの詩です。

りんごよ
りんごよ
りんごよ
だが、ほんとうのことは
なんといってもたったの一つだ
一生は一つのねがいだ
一生の一つのねがいだ
ころりと
こっそりとわたしに
ころげてみせてくれたらのう
りんごよ


もしも、家人が出かけて一人になった自分の目の前で、テーブルの上のりんごが音もなくそろりと転げてくれたなら、どんなに嬉しいことか。

五風十雨

12年前の9月の入院手術以来、年賀状を出していません。それ以前から、年の明ける前に「明けまして・・・旧年中はどうも・・」と書くことに欺瞞的なものを感じており、ちょうどいい機会でしたので、毎年手術の日前後に「生きてるぞ報告」を出すことにしました。生まれ変わろうとの意志を胸に刻むため、生き延びた年月を数えるため。その葉書にはいつも「五風十雨」と書きますが、これには次のような経緯があります。まだ30代だったかの頃、和菓子に添えられた栞にこの言葉と「五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降るとの意味」という短い説明を見つけ、ひどい天気だなあと思ったのです。栞には続けて「作物に恵の気候」とあり、自らの不明と傲慢さとを恥ずかしく思いました。当時は研究が順調で、向かう所敵なしといった気分で、自分の人生の天気は毎日快晴であるはず、そうでなければと思っていたようです。かなり天狗でした。さて、今年の「生きてるぞ報告」には何を書きましょう。

モーゼル便り

時々見るブログにモーゼル便りがあります。モーゼル川の流れるドイツの古都トリアーでワインの歴史の研究をしている裕さんのブログです。先日そこに掲載された素晴らしい写真を欲しいと言ったら送ってくれました。ワイン用の葡萄であるリースリングの花です。


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自分の気持ちだもの、分かっているさと

オンディーヌの身ではないので、他人の気持ちを知る由はないし、知ろうとも思いません。しかし、自分の気持ちは、自分の気持ちだもの、分かっているさと思っていました。先日、末娘が受験したある資格試験の合格発表の日でした。その試験が首尾よく行かない場合には、大学院への進学も選択肢の一つで、そのときにはこれまで通り自宅からの通学となるはずでした。その日のお昼頃、職場に珍しく家内から電話が入り、合格したと知らされたときに、体の何処かを風がふっとかすめて吹き過ぎて行くような一抹の寂しさを感じました。本人の希望の仕事ですから、合格して欲しいと思っていたはずの私が。「末に生まれし君なれば親の情けはまさりしも」と与謝野晶子が詠んだようには、3人の子供に対して異なった思いを抱いては育ててきませんでした。少なくとも先日まではそう思っていました。自分の気持ちは分かっているさと思っていた、そんな私でした。

ハンマークラヴィーア

内田光子さんのベートーベンのピアノソナタの CD を聞きながら大学に出てきました。この CD にはハンマークラヴィーアが入っています。ずいぶん、ほんとうにずいぶん昔のことです。何気なく見ていた教育テレビの「ピアノのおけいこ」で、井上直幸さんがアダージョとはこんな風なんだよといいながら、ベートーベンのハンマークラヴィーアのアダージョ・ソステヌートを、マッシュルームカットの頭を揺らしながら、楽しそうに、夢見心地で引いていました。それ以来、この曲は数あるベートーベンのピアノソナタの中でも、私にとっては別格になりました。今、井上直幸さんはどうしているかなと、Google で井上直幸と叩いた瞬間に「訃報」の文字が目に飛び込んできました。急いでその頁に飛び、2003年に63歳で他界されたことを知りました。結局彼の演奏会には一度も行けませんでした。なんと残念なことをしたことか。週末には彼の CD を買いましょう。

人生の扉

帰宅途中の車のラジオから竹内まりやの「人生の扉」が流れてきました。いっぺんに好きになり、彼女のアルバム「デニム」を買いました。

春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

結婚式

昨日、卒業生の結婚式がありました。4年と修士の合計3年間私の所で勉強し、花畑シャーベッツでバスケに興じた元気印の学生でした。バージンロードを歩く花嫁のお父様や、言葉に詰まる花婿のお父様に、より近しいものを感じる式でした。当然です、私もそういった歳ですから。

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コンサート

母の日の昨日、友人の弦楽カルテットのコンサートが大清水公園のカピオホールでありました。カルテットとういと思い出すのが、二昔ほど前にボンのベートーベンハレで聞いた東京カルテットのベートーベンです。演奏を終わって夜道をバス乗り場へ向かう途中で信号待ちをしていると、ドイツのおばさんが話しかけてきました。彼女は「良い(gut)な演奏だった、彼らはこれから何処に向かうのか」といった事を言いましたが、その夜の東京カルテットの演奏は「良い」という言葉ではとても言い表せないほどの素晴らしいものでしたので、その言葉に何か見下げたようなニュアンスを感じてしまったものです。私のひがみでしょうね。さて、昨日の演奏は、モーツアルトのハイドンセットから「春」、シューベルトの「死と乙女」それにピアノを加えてのドボルザークの「イ長調」でした。シューベルトが素晴らしかった。

ぶたさん

先日の出勤途中、信号待ちで止まっていたトラックに追いついたところ、なんとぶたさんが運ばれていました。ぎっしり詰め込まれているのでしょう、少しでも身の置き場を確保しようとごそごそと時々体を動かしています。やがて信号が変わりトラックが動き出すと、一番後のぶたさんが仲間のぶたさんに押され、彼女の耳が折れ曲がって柵に押し付けられています。大丈夫ですよね。ぶたさんの目は人間の目に良く似ているなあと思って眺めて走っていたら、いつも曲がる角を通りすぎてしまいました。一番後のぶたさんが雌かどうかは自信がありません。

カスタードの続き

カスタードの続きです。その夜に演奏してくれた2人は「古楽コンクール山梨」に参加しました。その一人が1位なしの2位に入りました。楽器はバロックバイオリンです。嬉しいですね。

カスタードをこねまわしていた

少し前の夕べ、ご近所でちょっとしたコンサートがあった。早めに仕事を切り上げ、帰ってみると家内は台所でてんやわんやの真っ最中である。いろいろな具から薄桃色の田麩(でんぶ)にいたるまで全て手作りのちらし寿司に、ビスケット生地の台もカスタードクリームも手作りのイチゴのタルトがその原因である。約束の時間にあと15分というときにまだカスタードをこねまわしていた。でき上がった寿司とタルトと花束を慎重に車に積み込んで、発車。久しぶりに会った若い音楽家達の顔を見て、なぜかほっとした。曲紹介の通訳を頼まれる出来事があったが、お茶の時間もあり、なによりも素敵な演奏を手の届く距離で聞かせてもらって、幸福な夕べであった。今週末がコンクールとのこと。幸運を祈っている。

monakaさんのブログ

私が時々読むブログにmonakaさんの「潰瘍性大腸炎と一緒にドイツ留学」がある。そのブログを読むようになった理由は、2005年の夏の3ヶ月間、ローマ時代の遺跡が残るドイツ最古の町にあるトリアー大学数学科に滞在することとなったところから始まる。大学の手配してくれたアパートに荷物を下ろし、旅の疲れからすぐに寝入った翌朝、無事の到着を家族に知らせようと近くの公衆電話までの道すがら、前方から東洋人らしい夫婦と小さな女の子がやって来るのが目に入った。近づくにつれて話し声が聞き取れる。日本語それも関西弁である。「こんにちは」と挨拶をすると、驚いたように「日本の方ですか」「ええ、昨日そこのアパートに越してきました者です」同じ並びのアパートに住む方であった。単身であることを告げると、早速数日後の夕食にどうぞと招待された。招かれて訪ねた夕方、ドイツ滞在30年になり年齢も私とさして違わないそのMさんと話が弾み、何がきっかけだったか、お互いの病歴の話になった。まあ、この年齢の親父の話はえてして病気や健康の話題になるものである。Mさんが長年患っていたのが潰瘍性大腸炎であった。Mさんには3ヶ月間の滞在中いろいろとお世話になり、今もつきあいが続いている。彼がブログを書き始めた、そのきっかけが同じ病気を持ちながらドイツに留学してその生活をブログに書いている人がいることだと知らせてきた。それがmonakaさんである。彼女がどの町に住んでいる何という人か知らないが、病気にめげないで頑張っていること、あんこが好きであることは知っている。彼女のブログを読むたびに元気づけられている。

牛久のシャトーカミヤ

牛久の駅から歩いていける場所にシャトーカミヤがあります。日本のワインの発祥地とのことで、当時のワイン倉が残っています。先日、久しぶりにそろった家族で、そこのレストランで夕食をしました。桜の花が、冷たい雨に打たれながらも、まだ枝に残っていました。

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思い掛けない出会い

出先でぽっかりと空いた日曜の午後。ホテルから徒歩で行けるホールでの演奏会は3時開演、5時に人と会う約束には遅すぎる。ネットで探したちょっと遠くのホールまで、電車に乗り継いで出かけた。プログラムにあるコンサートマスターの名前が、昔の記憶を揺り動かす。確かバイオリンの上手な彼はこんな名前だった、確か彼は医者になったはずだったと反すうしていたところ、あのコンサートマスターは実はお医者さんだとの会話が背後から漏れ聞こえてくる。拍手とともに出てきたその人は、容貌にもその歩き方にも、昔の面影を残していた。会わなくなってもうすぐ40年になる。なんという長い、それでいて短く感じられる星霜。演奏終了後、楽屋まで出かけようかとも思ったが、約束の5時まで余り時間がないし、確信もなかった。帰宅後、別の友人に確かめ、住所を調べて手紙を書いた。「60回目の定期演奏会おめでとう。」「思いかけず嬉しいお便りを頂き、まことにありがとうございました。偶然と言えば余りに偶然のことで、世の中というものがどのように繋がっているのか、不思議な縁を感じます。」急性糖尿病の権威になった古い友人からの返事であった。61回目の定期演奏会は5月とのこと。

薄墨色の葉書

薄墨で書かれた喪中葉書が届く頃になりました。父が、母がという文面は、年老いた母を遠くに持つ身につまされますが、夫がとかかれた葉書を見て、目に浮かんだのは高校時代の若い頃のその人の顔でした。それほど長く会っていないのです。

海外からのお客様二人

昨日は、海外からのお客様2人の講演が有りました。1人は、オランダ南部の町ティルバーグにあるティルバーグ大学からの Renata Sotirov さんで、MRIの画像処理に対する信頼区間法や半正定値計画、2次錐計画を組み合わせたアルゴリズムの話と、その方法を使って処理をした画像などを見せてくれました。良く整理された模範とすべき発表でした。ちなみに、彼女の母国はクロアチアです。午後は、ブラジルからの Elizabeth Wegner Karas さんで、非線形計画問題に対するフィルター法の収束の話でした。ちなみに、彼女のおじい様はドイツ人で、彼女のミドルネームはそこから来ているとのこと。その後、洞峰公園横のパリ食堂で、吉瀬先生も含めた女性3人に囲まれての賑やかな夕食となりました。

映画 Vier Minuten

銀座は和光の裏にあるシネスイッチという小さな映画館で、ドイツ映画 Vier Minuten (邦題「4分間のピアニスト」)を見ました。宣伝もしていない上に地味な映画だからきっとお客の入りは悪いだろうと思っていたのですが、立ち見も出るほどでした。時代に時代が、憎悪に憎悪が、そして愛に愛が重なる、重たい映画でした。

ドイツからの初冬の便り

ドイツの田舎に住む友人から初冬の便りが届きました。
ここだんだん寒くなってきてます。ウチでは毎日のようにオ〜フンたいてる。
最近小鳥が窓をトントンたたく。。。自然のエサが少なくなってきたのかなあ、って思ってます。
夏にはなかった事だし。ただ雪が積もらない限りエサをやっちゃダメ、って言われてるので。。。チトつらいです。
昔、ドイツに暮らしたときに庭に毎日のように Amsel (クロウタドリ(ツグミの一種)) が来ていたのを思い出しました。

長崎平和公園での風景

1945891102分にファットマンとあだ名された原爆が炸裂した空の真下に、長崎平和公園の慰霊碑があります。慰霊碑に向かって歩いていた私を、ねずみ色の作業衣姿の20代後半から30代前半の男性二人連れが追い越していきます。一人は今はやりの、そうそう、エスカレータでの巻き込みが問題になったあのサンダルを履いています。その二人が、慰霊碑の前で立ち止まり、手を合わせ控えめに頭を垂れました。その姿の自然さに長崎が歩んできた歴史を思いました。

アンセーニュダングルのクロックムッシュ


東京乃木坂での研究会の前に、原宿の喫茶店アンセーニュダングルにちょっと寄り道をしてクロックムッシュとコーヒーでお昼にしました。竹下通りの少し北にあるこの喫茶店は、周囲の喧騒とは無縁です。研究会に遅刻しないようにと30分ほどで出なければならなかったのが残念でした。次回は、本を持って時間を気にしないで、ゆっくりとコーヒーを飲みに来ましょう

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夏の疲れ

ご無沙汰です。ほぼ1月ぶりですね。2学期は朝早い授業が多く、1と月経った今日あたりで夏の疲れが出てきています。先週の金曜日の学会での同僚の受賞記念の特別講演では居眠りをしてしまいました。ごめん。これから、明日朝一の授業の予習をします。教える側なのに予習は可笑しいかもしれないのですが、自分の書いたノートを、頭を白紙にしてあたかも他人の書いた物のような気持ちで読み直します。そして、学生達の顔を思い浮かべながら、どのように話そうかとシナリオを考え、書き込みをします。

清里

8月の最後の週に家内と末娘とで清里に遊びました。渋滞もなく自宅から4時間程で清里高原ハイランドホテルに到着。曇り空で八ケ岳を見ることが出来ませんでしたが、夕食後フロントから電話があり皆既月食が見えますよとのこと。ホテル横のトウモロコシ畑で曇っていると思って見あげた空は満天の星に3割ほどまで欠けて冴えた光を放つ月。美味しい食事と音楽、楽しい会話と心遣い、肌寒いほどの秋の気配、そしてなにより「いま何時ごろだろうなあ」と思える心の余裕を楽しみ、ホテルから、ナス、トマト、ゴーヤ、ネギ、セロリ・・・などの新鮮な野菜をお土産にいただいて帰宅しました。さて、来週から新学期です。

夏のコンサート

昨日は、千葉市美術館のさや堂ホールでのコンサート「優美、情熱、狂気 ー17、18世紀イタリア、フランス音楽の午後ー」に出かけました。わが家からひたすら南下すること1時間半で会場に到着したのですが、会場の駐車場の天井が低いため、車を入れることができず、周辺の駐車場を探してうろうろして、ちょっとあせりました。バロックバイオリン、ビオラダガンバ、チェンバロの若い3人の奏者が、イタリアのフォンタナ、コレッリ、ヴィヴァルディ、ヴェラチーニを前半に、ラモ、マレ、ダングルベール、マレのフランス物を後半に弾きました。拍手を受けるはにかんだ表情も素敵でした。これからも頑張ってください。

夏の京都の続き

平安神宮裏にある「山元麺蔵」といううどん屋に行きました。細長い町家をかなりモダンに改装した店です。夏野菜の天ぷらと釜揚げうどんをいただきました。カウンターの向こうでてきぱきと立ち働く店の若い人のおそろいのTシャツの背中に

「昨日より今日、今日より明日のうどんが美味しくなりますように」

と書いてありました。私も、

「去年より今年、今年より来年の授業が上手くできますように」

と心新たに2学期に臨みましょう。記憶制限準ニュートン法の説明がまだ上手くできていません。準備をしなければ。授業開始まであと1週間です。

夏の京都

研究会の終わった翌日の京都。降り注ぐ蝉の声に、片手にトリモチ竿を持ってあんぐりと口を開けて木の幹を見上げている幼い頃の夏休みの日を思い出していました。蝉の鳴き声、線香の臭い、花火の煙、赤いスイカの黒い種、天花粉の白い首筋・・・、降り注ぐ蝉の声が見せた幻でした。

研究室の合宿

17日から我々最適化のグループで合宿をしました。場所は、茨城県鉾田市のとちぎ海浜の家です。あいにくの天気で寒い3日間でしたが、修士2年生と4年生の発表や、漁師鍋とかいう料理をしたりで、楽しく過ごしました。また、先日読みたいと言っていたBalinskiの論文の訳をしてくださる方がいて、先ほど読み終わりました。感謝。合宿の写真を添えます。

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ユニセフからのメール

ユニセフから以下のようなメールが届きました。ご覧ください。

突然ですが、あなたの水の色は、何色ですか?
透明ですか?青色ですか?
水色、という言葉もありますね。

日本では簡単に、澄んだ安全な水が手に入ります。

けれども…

ラオスの子どもが差し出した水の色、それは、黄色でした。
マリの子どもが口をつけている川の水、それは、まぎれもなく泥の色でした。

世界の多くの場所で水は、「水色」ではありません。

濁った、汚れた水を飲んだら、おなかを壊します。
それは、日本でも世界のどこでも同じことです。

さらに恐ろしいのは、下痢になった小さな子どもは、すぐに脱水症状に陥ってしまうことです。
ふだんから栄養が足りなかったり、薬が手に入りにくかったりする場所では、下痢が、子どもの命をうばうのです。
毎日4100人以上の子どもたちが、安全な水がないことから起こった下痢性の病気で命をうしなっています。

生きていくために飲む水が、命をうばう…。皮肉で、悲しい、現実です。

***

解決方法は、机の上では、単純に見つかります。
きれいな水。そして衛生的な環境。
けれど、それをすべての人の手にいきわたらせるためには、多くの困難が待ち受けています。
水と衛生の問題は、子どもたちの命に直結しています。
世界の子どもたちを取り巻く「水」の現状とユニセフの活動をお伝えする新しい特集ページをホームページにアップしました。
今回の特集では、西アフリカのマリという国に飛んだスタッフによる井戸作りの生レポートも掲載しています。酷暑のなか、清廉な水を届けるダイナミックな深井戸作り、そして現地の子どもたちの生き生きとした姿を、ぜひご覧ください。


特集サイト

「『分からない』と言わせる」ことの難しさ

学生を指導していてこれまでに何度のなく困難を感じたことに、「『分からない』と言わせる」ことがあります。
学生が学士論文や修士論文の研究を始めると、当然のことながら既存の結果や最近の研究に目を通す必要があり、専門書や論文を読ませます。会ったことはないが何となく偉そうな名前の先生が書いている専門書、外国のさる有名大学の先生が書いた論文、学生は私からそういった物を渡されて、読んでこいと言われ、翌週には何が書いてあったと聞かれることになります。学生がまず突きあたる困難は、言葉です。日本語で書いてあっても専門の用語の定義を知らない、聞いたことがない。外国語で書いてあれば、辞書で引いて日本語らしい言葉に置き換えてみたが、さっぱり意味が通らないという状態で、日本語の文法に則ってはいるが、全くナンセンスな言葉を学生から聞くことになります。基礎知識の不足を、関連の書籍やネットで専門用語を調べて補っても、なおナンセンスな日本語は改善されません。その理由は、自分で「こうではないか、こうであるはずだ」と考えないことです。考える習慣がない、そのようにこれまで育てられていない。片側の車輪である知識を補うべきもう一方の車輪である推論ができません。受験勉強を通して、そういったことをしない訓練ができ上がってしまっています。専門書や論文の記述が間違っていても、疑おうとしませんが、それも自分で「こうではないか、こうであるはずだ」と考えないからです。考えれば「この部分が分からない。こう考えるとここで辻褄が合わないし、別の考え方だとべつの所で話が行き詰まる」という声が聞こえてくるはずなのですが。
私も歳を重ねるに従って、忍耐力を失ってきています。受験勉強で叩き込まれ身にしみている「考えない」習慣を追い出すことにエネルギーの涸れる思いを感じる今日この頃です。

自転車でオランダ走破

私の古い友人のオランダ人が最近オランダのすべての町や村を自転車で走破するという快挙を成し遂げました。最後に残った村は Den Hoorn とう村だそうです。彼は私より2歳年下ですから54歳、昨年別のオランダの友人宅で彼が体調を崩したことがあったと聞いていたのですが、超の付く自転車お宅の彼の復活です。彼の大学はベルギー国境近くの Tilburg に有り、以前に訪問した際には彼と自転車でベルギーの村まで出かけました。私にとっては大きく重いオランダの自転車に乗って彼の後を必死で着いていった1日でした。そうそう、彼からの絵はがきによるとオランダの町や村は全部で3351だそうです。

ZARD

君に会いたくなったら・・・
その日までガンバル自分でいたい

と鳴り出したカーオーディオの音を聞いて、助手席の末娘が「聞くと思ってた」とつぶやく。

「え、亡くなった?」「がんだったの」

昨日の午後、実験室で学生の見ていたインターネットの画面を横から覗いた。青春の思い出というにはすでに私は歳を取りすぎていたが、その歌を口ずさみ、励まされ、私の生活の軌跡とこのグループの軌跡とが、わずかだが交わった時期があった。今朝はそんな時期を思い出しながら。

風邪ですかね

鼻をぐずぐずいわせてもうすぐ2週間になります。きっかけは、自宅近くのプールで泳いだことでした。いつも泳ぎ慣れている大学のプールと違って、そこは消毒が強く鼻につんと来ます。それが原因だろうと思っていたのですが、普段なら2,3日で元に戻るのに、今回は長引いています。そうこうしているうちに、咳が出るようになり、これは風邪だと気付いたというお粗末です。ちなみに、はしかは小さい頃既に罹りました。

好きなもの

気だるく食欲の無い初夏の朝、食卓のみずみずしいグレープフルーツ!

今日は美術館へ

連休も明日を残すだけとなり、その明日は天気が崩れるとのことでしたので、今日は東京は八重洲のブリヂストン美術館に足を運びました。常磐線の中が退屈なので、査読を頼まれていた論文をプリントアウトして、メモを書くためのボールペンも添えて袋に入れ、車の後部座席に投げ込んで家を後にしました。駅近くの駐車場に車を止めて駅に向かいましたが、駅に着いてから論文を車に忘れてきたことに気付いたのですが、電車の時間もあり、あきらめて手ぶらで出かけました。

東京駅の八重洲口からまっすぐに京橋方面に歩くと容易にブリヂストン美術館に辿り着きます。4月初めから7月半ばまで「じっと見る」と題した常設展を開いています。1952年にできたこの美術館は石橋正ニ郎の個人コレクションが元になっています。展示されている作品には、ロダン、ブールデル、厶ーア、ジャコメッティ等の彫刻に始まり、レンブラント、アングル、ドーミエ、ミレー、コロー、マネ、シスレー、ルノワール、サザンヌ、モネ、ゴーガン、ゴッホ・・・・・。手持ちの作品でこれだけのものがあるのはたいしたものです。

見終わってショップで絵はがきと、絵の具チューブの形のドアストッパーを買い(私の研究室の来れば見ることが出来ます)、喫茶店でウィンナコーヒーを飲んでから、最近開店した新丸ビルへ行きました。まあ、すごい人手です。家内のお勧めの和食レストランの列に並んで、食事をしました。すっかり暗くなり風の出てきた丸の内を、ライトアップされた東京駅に向かいました。

美術館のサイトです。
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

「待つ」ということ

先日、本屋でぼんやりと新書の本棚を眺めていたら、ひとつ背表紙が飛び出している本がありました。鷲田清一「『待つ』ということ」という本でした。携帯やメールの返事を待てないことに触れてあったので、買って帰りました。以下はその中の「前傾への脅迫」と題された一節です。

いまにしておもえば、なんとも惨めになるような発見を十年ほど前にした。「労働」の現在を分析する仕事をしていた頃のことである。ある日ふと、企業のさまざまな活動や業務に、ある共通の接頭辞がつけられていることに気づいた。

と話は始まっており、プロジェクト、プロフィット、プロスペクト、プロダクション、プロモーション、プログレスといったプロという接頭辞を持つ言葉が並べられています。そして、

先に設定した目標のほうから現在なすべきことを規定するというかたちになっている。こうした前のめりの姿勢はだから、じつのところ、何も待ってはいない。未来と見えるものは現在という場所で想像された未来でしかない。未来は決して何が起こるかわからない絶対の外部なのではない。
(中略)
つまり、ひとはその外部にいかにみずから開きっぱなしにしておけるか、それが〈待つ〉には賭けられている。ただし、みずからを開いたままにしておくには、閉じることへの警戒以上に、努めが要る。

とありました。我が身を振り返り、また、若い学生諸君のことに思いを馳せました。

卒業式

23日の金曜日は卒業式でした。「今春が来て、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった」と歌うイルカの声を聞きながら大学に出ました。卒業式は苦手です。巣立っていく学生達を見ると、自分だけが、このうららかな春の日に一人とり残されたような気分になります。そんなわけで謝恩会も苦手です。

30年を2時間半で・・・

20日の火曜日に慶応義塾大学理工学部に行って来ました。筑波、東工大、慶応、早稲田の4大学交流会に経営工学主専攻の3年生が研究発表をするためです。東横線の日吉駅を慶応のキャンパスの側に出ると、目の前に銀杏並木が開けます。正午を少し過ぎた春の光を受けて、銀杏の幹が黄金色にまぶしいばかりに輝いていました。大学院の学生として5年、助手として1年あまりを通った銀杏並木を目の前にして、森山良子の「30年を2時間半で・・・」が耳の中で鳴る思いでした。この曲、ご存知ですか。是非。

Christina Stuermer のアルバム Lebe Lauter から

Reine Nebensache

Wir sitzen hier seit einer halben Stunde rum
Du schaust auf die Uhr
und alles Moeglichkeit scheint bei dem Blick auf die Zeit vergehen
wenn wir wollen
hey, wir muessen das heir jetzt nicht tun
wenn wir wollen
koennen wir Berge verschieben und Meere austrocken
und uns manchmal sogar verstehen
wenn wir wollen
wenn wir wollen
und deine Lieblingsserie die find ich auch nicht mehr so toll
du bist nur noch halb bei mir ich frag mich wo der Rest soll

ich will alles order gar nichts
und noch ein kleines bisschen wart ich
auf die Stunde, die Sekunde
dann geht das alles hier zu Grunde
auf den nuklearen Winter
und die harte Zeit dahinter
ich will leben und nicht renine Nebensache sein

Tobias Roeger

青山七恵「ひとり日和」

3群の書籍で文芸春秋を買い、筑波大卒業生で先頃芥川賞を受賞した青山七恵の「ひとり日和」を読みました。遠い親戚のお婆さんと始めた二人の暮らしを軸に、母親、恋人、仕事の仲間などとの交わりを、ゆっくりと描いています。20代初めの若者の閉塞感、それとても今の私にとって久しい昔を思い出させるうらやむべき感覚なのですが、を描いた下の文章が心に残りました。読み終わってほっと笑顔にさせてくれる小説でした。

追うものなどなく、去っていくばかりに思えるのに、わたしの心はあせっている。
 ピアノをめちゃくちゃに、叩くように弾きたい。
 たんすの中の洋服を全部燃やしたい。
 指輪や、ネックレスやら、ビルの上から投げ捨てたい。
 煙草を一度に十本吸いたい。
 そうしたら、振り切れるだろうか。
 ちゃんとした生活など、いつまでたっても自分にはできない気がした。手に入れては投げ出し、投げ出され、投げ出したいものはいつまでも一掃できず、そんなことばっかりで人生が出来ている。

映画とコンサート

土曜日は午後から「それでもボクはやってない」を見て、夕食の後、エマ・カークビーのソプラノリサイタルに行きました。映画はこれから見る人もあるだろうからコメントはなし。カークビーは、ホールに残る余韻までもコントロールしているのではないかと思うほどの、美しく安定した歌声でした。でも、忙しかった今週の疲れで、前半はちょっとウトウト。贅沢な夕べでした。

イスマイルからのメール

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you have to think before you speak to me!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
my presence ever makes you feel uncomfortable!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you have to thank me for everything i do for you!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you have to say sorry for everything that you don't do!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you have to ask me for favors!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you think i would not be curious to know your new philosophy of life!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you go by what i say and do not understand what i don't say!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you think that listening to your dreams would put me to sleep!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you think that seeing you in pain, would not bring a tear to me!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you think I do not remember the first time we met!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you don't see the thousand ways I try to make you happy!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you don't realise how your smile brightens up my day!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you would rather keep quiet when you really wanna talk!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you hesitate to ask me to stay back when you think we should be together!

I AM NOT YOUR FRIEND IF.....
you take too much time to tell me what i mean to you!

Am I Your FRIEND ????

春の陽気に誘われて

春の陽気に誘われて、倉庫から折畳み自転車を取り出して、近くの本屋まで出かけました。風が心地よい。お目当ての「法哲学入門」は見当たりませんでしたが、帰りに美味しいコーヒー屋さんに寄り道して、今月のコーヒーのレギュラーを一杯。キャラメルマキアート何かでない所がいいと思いませんか。つたない絵を入れておきます。

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冷凍みそ煮込みうどん

金曜日の夜から大学時代の友人が泊まりにきました。名古屋に住んでいるのですが、東京に仕事に来たついでによってくれたのです。お土産に、冷凍にした山本屋本店のみそ煮込みうどんのセットをいただき、土曜日の夜にいただきました。

来年度は2年生の担任に

先日、来年度の委員の依頼が来ました。線形代数を担当されている繆先生とご一緒に、久しぶりに2年生のクラス担任です。皆さん方の何人かとはそこで会うかも知れません。また、大学院では博士論文委員会の委員長をやります。これはなかなか骨の折れる仕事です。

今年は!

年の初めにあたって今年の抱負は、"Trotzdem, Ja zum Leben sagen" です。

山本屋本店のみそ煮込みうどん

これが、山本屋本店のみそ煮込みうどんですが、ずいぶんと高級化していて、黒毛和牛入りや名古屋コーチン入りは2千円を超えています。卵だけのものが1260円でした。

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