「待つ」ということ

先日、本屋でぼんやりと新書の本棚を眺めていたら、ひとつ背表紙が飛び出している本がありました。鷲田清一「『待つ』ということ」という本でした。携帯やメールの返事を待てないことに触れてあったので、買って帰りました。以下はその中の「前傾への脅迫」と題された一節です。

いまにしておもえば、なんとも惨めになるような発見を十年ほど前にした。「労働」の現在を分析する仕事をしていた頃のことである。ある日ふと、企業のさまざまな活動や業務に、ある共通の接頭辞がつけられていることに気づいた。

と話は始まっており、プロジェクト、プロフィット、プロスペクト、プロダクション、プロモーション、プログレスといったプロという接頭辞を持つ言葉が並べられています。そして、

先に設定した目標のほうから現在なすべきことを規定するというかたちになっている。こうした前のめりの姿勢はだから、じつのところ、何も待ってはいない。未来と見えるものは現在という場所で想像された未来でしかない。未来は決して何が起こるかわからない絶対の外部なのではない。
(中略)
つまり、ひとはその外部にいかにみずから開きっぱなしにしておけるか、それが〈待つ〉には賭けられている。ただし、みずからを開いたままにしておくには、閉じることへの警戒以上に、努めが要る。

とありました。我が身を振り返り、また、若い学生諸君のことに思いを馳せました。

社会工学実習開始

今日から、社会工学実習が始まりました。例年通り、卒業後の進路についての質問に答える担当だったのですが、この項目についての質問が圧倒的に多く、十分に答えきれませんでした。特に、学類卒と修士卒の就職先の比較をしたいという要望には、データがそろっていませんでした。来年は用意しなければと思っています。

卒業後の進路について話をしている私が言うのも妙なのですが、卒業後の進路に対する新入生の関心の高さには驚きます。私が同じ年ごろの時は、そんなことなどほとんど考えてもいませんでした。漠然と、「勉強したいなあ」と思っていたに過ぎません。

「考えうる一番遠い未来を今日の行動の基準にせよ」

とどこかで読んだことがあります。それから考えると、高々3,4年先を考えている新入生諸君には、「そんなこと気にしないで興味の赴くまま勉強しなさい」といいたいと思いますし、そう言いました。