本文へジャンプInternational Development and Urban Planning Studies, Graduate School of Systems and Information Engineering, University of Tsukuba, JAPAN
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1.アレッポのスークとは

ここでは、アレッポという都市の復興がなぜ重要なのか、特に先日燃やされたスークを中心に見ていきます。


■ヘレニズム時代のアレッポ

 



 アレクサンドロス大王の東征によって西アジアにもたされた、ギリシア文化と古代オリエント文化の融合を、ヘレニズム文化とよびます。アレッポも、このヘレニズム文化の影響を受け、市街地はギリシア起源のグリッド・パタンで構成されました。図はジャン・ソヴァジェというフランスの考古学者が諸文献の記述を総合して描いた、一種の市街地想像図です。

 Aはテルとよばれるかつての遺跡です。Bは当時から存在していたアレッポ城、そしてCはギリシアの神々を祀った神殿です。アレッポ城から西に向けて都市軸が通っていることがわかります。軸の一画に方形の広場があり、AGORA(アゴラ)と書かれています。古代の民主主義国家ギリシアに不可欠な会議の場であったことが示されています。

 もし、当時の都市空間のイメージをリアルに掴みたいと思ったら、パルミラ遺跡を訪れることをお勧めします。中央に馬車が通れる道、両側は柱廊付きの歩道、そして沿道にやや大き目な店舗が立ち並ぶ街並みが、遺跡として残っています。イスラームによって支配される前のパルミラだからこそ、ヘレニズムの時代の都市景観に直に触れることができます。

 

 

■ビザンティン時代のアレッポ

 



 ヘレニズムという言葉は、古代オリエントギリシアとの融合を指す場合もあれば、より広く、ギリシアの後に続いたローマとの融合をも包含する場合がありますが、ここではビザンティン時代すなわち東ローマの影響下にあった時代としておきましょう。

 ソヴァジェの想像図からは、同じくアレッポ城下の囲郭都市という特徴が確認できますが、施設に若干の相違がみられます。すなわち、カトリック教会や聖公会(イギリス国教会)、聖40人殉教者の教会などといった、キリスト教関係の施設が目立つことです。一方、グリッド状の街路はそのまま継承されているように見えます。ローマの都市もまた、馬車が通れるほどの広い幅員の道路を必要としたのです。後にアレッポの市街地は細街路で埋め尽くされていきますが、当時の直線道路の面影は今日でもはっきりと残っており、ラテン語で「Via Recta」、文字通り「まっすぐな道」と呼ばれています。有名なのは、ダマスカスの「まっすぐな道」で、聖書に描かれている「パウロの回心」の舞台として知られています。

さらに、シナゴーグとよばれるユダヤ教会、それにユダヤ人墓地も描かれています。ユダヤ人はディアスポラによって各地に散らばることを強制された一方、そのネットワークによって金融業を営み、都市や国家を支える隠然たる力をもっていました。

 

 

■イスラーム時代の変化

 




 アレッポの歴史はイスラームと切っても切り離すことはできません。都市空間に与えた影響も極めて甚大であり、それまでグリッド・パタンの下に比較的整然としていた道路網が、徐々に今日に見るような迷路状の細街路へと変貌していきました。一言でいうと、幅員の広い直線道路が、たくさんの商人たちの小さな店舗で埋め尽くされていくのです。

 ソヴァジェはこのプロセスも劇的に描いています。最初に柱と柱の間に壁を設けて、小さなはみ出し店舗が連なります。間口は柱のスパンに基づく狭いものとなり、かといって奥行があるわけでもなく、ごく小さな店舗です。車道を占拠した店舗も次第に形を崩しながら細分化していき、やがてこのサイズの店舗が主流となります。それに合わせて街路も二重、三重と分岐していくことになったわけです。これがアレッポのスークの基本的な形成プロセスだったといえるでしょう。

 では、なぜ、イスラーム時代にこうした零細な店舗が普及したのかといえば、諸説がありますが、一般的には次のように考えられています。まず第一に、イスラームという宗教が、一人ひとりに対し、商売を奨励していたこと。コーランには、「信頼のおける商人は、最後の審判の日に、神の玉座にすわるだろう」などと、商人が礼賛されています。また第二に、これらの零細店舗は基本的に公営の賃貸店舗であり、元手のない人々でも簡単に商売をはじめることができたからです。この公営のありかたをアラビア語で「ワクフ」といいます。ごく簡単にいうと、商店の売り上げの一部をモスクや学校といった公的施設に寄付することで、施設の維持管理費をねん出するとともに、それぞれの商売も安泰であるという、税金に似た仕組みです。

 また、無数の零細店舗からなる商店街を、アラビア語で「スーク」とよびます。スークは、「香辛料のスーク」「貴金属のスーク」「木工品のスーク」などといったように、扱っている品物によって分かれています。同業者同士で喧嘩にならないかというと、そんなことはありません。ある店で買い物をしていて目当ての品が見つからないとき、主人がちょっと待てよといって、隣の店からその品物をもってきて売ってくれるということが少なからずあります。これはスークがいわゆる同業者組合の性格をもっているためです。互いに助け合っているわけですね。たくさんの店が並んでいれば、それだけお客さんもたくさん来ます。「あのスークに行けば品物は必ず見つかる」などといって。いわば素朴な市場原理が働いているわけです。


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